くるちゃんありがとう
いつだったか次女が学校からゴーヤの苗を持って帰ってきまして 「くるちゃん」と命名されました。
我が家の植物はなかなか実をつけないのですが(きゅうりは全滅でした...)例にもれずゴーヤも実が大きくならない。
ひとつだけ大きくなってきて、育て...!!と祈っていたものの、気がつけば大した大きさになっていないのに変色しだしていて残念な結果に。
それでも花を咲かし続けるので、やっぱり無理かな~と思いつつ、肥料をあげてみたり水をやったりしていました。
そしたらまたひとつだけ!実が育ち始めた!
よく見かける大きなサイズにはならないだろうから収穫時期を逃さないように...と、収穫ってそもそもどのタイミングなのよ?わかんないわよ?って感じではありましたが、慎重に見守っていました。
が、慎重に見守ったところで所詮タイミングがわからないので、もういいか、となりまして、昨日無事くるさまが昇華なさいました。
すくな!笑
いやいや、これは完全に食べかけの写真です。スミマセン。
でも手のひらより小さなサイズのゴーヤだったから 汗 もともとそんなに量はなかったのですがね。
素揚げして塩とカレー粉を振りました。
うん、ゴーヤ嫌いの私でも食べられた!
ビールにもぴったりでした。
くるちゃんありがとう。
こうやって収穫できて食べられると、家庭菜園もいいものだなあと思うのですがね。
我が家はやはり農家さんが丁寧に育てた野菜をいただくことにしたいと思った昨日なのでした。
晴天とコスモス畑と
しまったなあと思っていることがあって、それは...早めに洗車をしておけばよかったなあ、ということ。
なにそれ?そんなこと?笑
洗車してすぐに雨に降られるのも悔しいので「週間天気予報に傘マークがひとつもついてなかったら洗車しよう」ってマイルールがあって、なんとなく洗車できずにズルズルここまできてしまったのですよ。
9月下旬から。
かわいそうな感じになってるんですけどね、車。
土曜日の傘マークがどうしても気になって。笑
日曜日は山に行くので、月曜日こそはピカピカにしてあげたいと思います!
ところで最近ようやくお天気も安定してきましたよね。
日曜日は登山に行ったのですが
月曜日も快晴!...これはどこかに行かねば!笑
ということで、日中の仕事の合間をぬってコスモス畑へ少し行ってきました。
咲き具合は...微妙!
満開とは言えないけど、少し枯れ始めているものもあったり、なかなかタイミングが合っていないようでした。
それでもやっぱりキレイでしたよ。
平日ですが、まあまあな人が見に来ていました。
今日はいい天気で絶好の撮影日和!(撮影って、大げさですけど。笑 スマホでパシャパシャやるだけ)
とスマホを構えてかがもうとしたのですが...か、かがめない...
前日の登山で筋肉をもりもりと使っていた私は、久しぶりに下半身が筋肉痛になっていて、全くかがめなかったのです。涙
なので、よっこいしょ、としゃがんで撮ってばかり。年齢を感じます...
仕方ないので下からアングルばかりになりました。
でもどのアングルも花はキレイよね。
今週末はもっと咲いてるのかな。
自然が楽しめるいい時期になりましたね♪
引き算に難あり?
子どもが割り算のひっ算を教えてほしいというので一緒にやっていたら、その割り算の中に出てきた繰り下がりのある引き算で私がつまずくという、笑うに笑えない出来事が。笑
マジか...算数得意だったと思ったけど。大昔。
大人になるって、怖いわあ。
(いや、大人でも当たり前に出来るから。笑)
結局私も次女もあれ?ってなって、小6の長女に教えてもらうというこの失態。笑
だから笑えないんだってば。
何やってんのよ~なんて言われちゃったよ、てへぺろ。
幸い今日は子どもたちにとっておもしろいと思えるテレビ番組がない日ということもあって、黙々コツコツとがんばっている次女。
テレビ音もなく、長女も音を出すことを禁じられているということもあって、静か。
この静寂がとても心地いいものです。
テレビって、ずっとついていると音があることに慣れてしまいがちですが、それでも聞き続けていると頭がおかしくなりそうになるんですよね。
そうは言っても、子どもたちに消してくれと言っても聞き入れてくれることはなかなかないので、今、久しぶりのこの静寂を味わっている次第。
ということで、割り算に戻ることにしましょう。
たくさん問題があってなかなか終わらないのよ~次女ファイティン!
罪悪感事件
昨日はお山に行ってきました。
群馬は赤城山。
上の方は紅葉が終わっていましたが、下の方は紅葉真っ盛りでお天気も最高だったので、キラキラとてもきれいでした!
子どもたちは夫にお任せしてツアー登山に一人で参加してきたのですが、その日は実は長女が行きたいと思ったイベントが近くの公園(でも子どもたちだけでは行けなさそうな距離)であって。
「いや行けませんよ、ママはいないから」とお断りしたり、パパに連れて行ってもらえば?と言ったりしていたのですが、夫には連れて行ってもらえる可能性が低いことを彼女もわかっていたので
「行きたかったな~」と何度か私の目の前でつぶやいてたんですよね。
行けないって言ってるのになんなん...と思いながら聞いていたのですが、何度目かのつぶやきで我慢できずにカチーン。
行けないっつってんじゃん?前から決まってたことだし。行けないって言ってるのにそれは何、罪悪感を植え付けようとしているのか?それとも予定をキャンセルして連れて行けって言いたいの?
となったのです。笑
そしてそうなったところでハッと気がついたのです。
違う、長女が罪悪感を植え付けようとしているのではなく、長女は単に行きたかったという思いを口にしただけで、私自身が罪悪感を抱えていたから私が彼女の言葉に刺激されてそう反応してしまっただけだ...!!ということに。
いやはや...
人が怒るときって、自分が相手から攻撃されていると感じる時だったりします。それは実際には相手は攻撃していなくても、です。
自分が持っている「これはダメなことだ」と思っている観念を刺激されるようなことを言われると反応しちゃうんですよね。
冷静に考えてみました。
そして私が持っている観念はこんな感じでした。
- 自分の楽しみごとにお金を使うのってどうなの?
- 子どもを夫に任せることってどうなの?
- 自分だけ楽しむことってどうなの?
そしてそれをやろうとするから罪悪感が。
以前はそうでもなかったと思うのですが...最近積んでいる気がします。
もっとちゃんとしなきゃ、が発動してるのかな...
とにかく、そういう自分に気がついたので、長女に「八つ当たりしてごめん...」と心の中で謝りつつ、この罪悪感、どうしようかな~と少し考え、結果、
「罪悪感は一切持たない」
そう決めました。それだけ。笑
こうだから罪悪感なんて持たなくていいんだよ、とわざわざ理由付けするのも面倒だったし、頭がこんがらがってしまいそうだったので。
そして、昔から読んでいる本の中に
「状況がどうとか何を感じているとかそういうことと、自分が幸せでいていいということは別の話」
というような言葉があったので、そちらも再確認。
「罪悪感を感じても感じなくても私は登山を楽しんでいい。それとこれとは別の話」
そうしっかりと心に刻み込みました。
そっかそっか。
こうして心を軽くした私は登山を楽しみ(岩が多くて筋肉使った~そして今日は久しぶりに筋肉痛です)
子どもたちはというと、なぜだか長女は早朝からシャワーを浴びたり上履きを洗ったり、晩ご飯には家庭科の宿題のじゃがいも料理を夫と作ったり。
私が渋滞で帰るのが遅くなったのですが、戻ってくると部屋は片付いていて既に子どもたち人は夢の中...
なんやねーん、私がいない方が、部屋は片付くし早く寝るし、いいことずくめじゃないか...!!
これは私が罪悪感を手放したからか、もともと罪悪感など感じる必要はないのに勝手に感じていたのか。(後者ですな)
とにもかくにも万々歳な結果が待ち受けていたのでした。
ちなみにイベントはというと「行きたい気持ちが全くなくなったからパパに聞いてもない」ですって。なんと...
そうして昨日の罪悪感事件によって、私はこれからは罪悪感は一切持たないことに決めたし、どんな感情がうずまこうとどんな状況であろうと、それとは関係なく幸せでいていいし楽しんでいいし豊かでいていいし自由でいていいし...と決めたのでした。
(決めたことを忘れちゃったりするんだけどね。汗)
ポジティブもネガティブも紙一重
俳優の城田優さんが、顔と身長がコンプレックスで「かっこいい」という言葉が嫌いだったということが書かれた記事を読みまして、そっかーなるほどなーとなりました昨日の朝。
ハーフだということもあるし、お仕事にとってはどちらもむしろマイナスポイントだそうなのでいたしかたないことなのでしょうが、だってモテたい人からすると「かっこいい(かわいい)が嫌い、だと...?ふざけんな、顔と身長交換しろ」くらいに思うかもしれないですもんね。
生きていく上では絶対的に有利だと思えちゃうし。(←ごめんなさいね、偏見で)
一つの事象をどう捉えるかによって、ポジティブにもなるしネガティブにもなる。
ポジティブに捉えればポジティブな世界が広がるだろうし、ネガティブに捉えればネガティブな世界が広がる。
結局その人次第の不確かなものでしかない。
そして、逆に容姿が今一つと思っても身長が低くても、ポジティブにも捉えることは出来る。
結局どっちの方向に自分は向いていたいか、そこが大事なポイントなのかなあ。
自分がネガティブと思っていることを「受け入れる」って大変なことだとは思うけど。
そもそも「かっこいい」だって、人(価値観)によって違うしねえ。
日本では「かっこいい」部類に入っていない容姿でも海外のどこかの国に行くと「かっこいい」部類に入る、とかいうのはよく聞く話。
私もねえ、たまに「かっこいい」って言われるんですけどね、誉め言葉なのはわかるけど、一応女子なので、正直ちっとも嬉しくないんですよね。笑
小さくてかわいらしい容姿の女の子に憧れました。まあムリだけど。
城田さんとおまえを同列で書くなって話ですね、スミマセン。笑
私は自己否定の塊だったので色々思う時がいまだにたまにありますけど、おかげさまで都合よくポジティブ変換できるようになってきました。
この積み重ねが本当のポジティブ(自己確信)になるに違いないと、癖付け中の毎日でございます。
自分のことをポジティブ変換できるようになったら他人のこともポジティブ変換できるようになるから、生きるのがすっごく楽になりますよ。
おススメです。
ランドリー通いも悪くない
実は洗濯機が壊れまして。
10年選手ですので、よく持ったと思います。
がんばってくれました。
それで新しい洗濯機が届くまでランドリーに通っているのですが、ランドリーってやっぱりそれなりのお値段がするんですね。もちろん一度に洗える量も違います。
なので2日に1回洗って持って帰ってきて、大量の洗濯ものを家中に干すということをしています。
正直最初は面倒だなあ...と思っていたんですよね。
そう遠くはないとはいえ、重い洗濯物を車で運んで洗ってもらって、さらに重くなった洗濯物を持ち帰る。
外に出るとなると身だしなみもそれなりに整えないといけない。
(頭が爆発した状態でピッとできるおうちとは違うので。私もそれなりに人目を気にするのです。笑)
でも通ってみると、ランドリーもなかなかいいもんだなあと思い始めました。
洗いだけなので洗濯時間は30分くらい。洗剤付きなので自分で洗剤を投入することはなく、お金をちゃりんと入れるだけ。
待ち時間がそんなに長くなくて、待っている間にあれをしてこれをして...というほどの時間もないので、割り切って、ただ待つ。
その間に本を読んだりネットを見たり。
このぼんやり心を緩めて待つ時間が、思いのほか心地よいのです。
出来ることが他にない状況にあるというのがよいのだと思います。
つまりそれは、いかに普段、目の前のこと以外の何かに気を取られているかということ。
何かをしていてもしていなくても、頭の隅で「ああ、あれもやらなきゃ...」「こんなにのんびりごはん食べてる私って...」なんて考えたりして。
あなたにもそんなこと、ありませんか?
会社勤めをされている方であればなおさら、何かをやると同時に次のこと、またその次のことを考えながらやっていますよね。
(以前の私がそうでした)
今日もランドリーに行ってきましたが、家で一人でいるよりも車の中で一人待っている方が心が安らぎました。笑
(私の場合、家のごちゃごちゃしてるあれやこれやが目に飛び込んできて心がザワザワしているのかも、というのもあります。汗)
もう一つ、ランドリーに行って気づいたことは、私って毎日洗濯するのも結構なエネルギー使ってたんだな、ということ。
今週2日に1回の洗濯にしたことにより、間の1日は朝の洗濯作業がお休みになったのですが、その洗濯作業をしなくていいということによる心の解放感が結構あって。
洗濯が嫌いなわけではないんですけどね。汗
やはりそれなりの工程があることを十数年、365日毎日やり続けるのって、結構なことだったんだなあと改めて思ったわけです。
そしてそれをやっていた自分、頑張ってたんだなあ、と。
もう私ってば、何も考えないで心地いいとか作業しないで心が解放とか、どんだけよ!とか思って笑えてきますが。
だからね、思ったわけです。
洗濯以外にも、家事、子育て、仕事...それ以外のどんなささいなことでも、生きているんだから当たり前、と思えたとしても、私たちは結構頑張っている。
だからもっと自分たちをねぎらってもいいんじゃないか、と。
もっと頑張れ、もっとちゃんとやれ、もいいんですけど、我々十分頑張っていると思うんですよね。
何か悩みがあったとしても、何かをやっているからこそ、やろうとしているからこその悩みなわけじゃないですか。
前を向いて生きようとしているからこその悩み。
その姿勢がすばらしい。
ねぎらったとしてその悩みが解決することはないとしても、まずは頑張っている自分に「よくやってるね」と声をかけてあげてもいいのかな、そんな風に思います。
(その悩みも、自分の価値観をちょっと変えるだけで悩みではなくなったりするのですが、それはまた別の話)
さああなたも今日の夜辺り、「いつもよくやってくれてるね、ありがとう」と自分に声をかけてみませんか?
自分をギュッとしてあげる(セルフハグ)のも、すごくいいらしいですよ。
(こっぱずかしい告白をしますと、私は自分の頭をいい子いい子するのが好きです。笑
愛に飢えた子ども時代でしたので...)
やってみてくださーい!(いい子いい子してみてもいいですよ。笑)
今が子育てプライムタイムかも
子どもが大きくなってきてから、子どもと一緒にいるのが楽しくなってきました。
実は私は幼児赤ちゃんが苦手で、なるべくなら近づきたくありません。
産んでみたら一応母性はあったみたいでホッとしたのですが、かわいいのですが、一緒に遊ぶとか好きじゃなかったので、一緒に遊ぶというよりは、遊んでいるのを見ているという感じでした。
もっと大きくなって一緒に遊んだり勉強したりするのが楽しみ、早く大きくなれ、そう思いながら過ごしていました。
そして子どもたちが大きくなった今、二人がケンカすることとか、こちらの言うこと聞かないこととかに本気で辟易することも多々ありますが、一緒に話をしたり冗談を言い合ったり遊んだり運動をしたり勉強を教えたりできるということが、たまらなく嬉しい。
これまで知らなかったこと、体験したことがなかったことを子どもを通じて知って体験できたり、こちらが教えるだけでなく、子どもから色々な雑学や知識を教えてもらったり。
もっと大きくなると今度は話をしてくれなくなるかもしれないから今だけのことかもしれませんが、あーなんかがんばってよかったーとか、そんな感じ。笑
でもこの先更に楽しみにしているのは、子どもの独立。
いや、独立までいかなくても、私があっちにフラフラこっちにフラフラしても勝手にやってくれるくらいにまでなるのが楽しみなのです。笑
いや、子どもたちが嫌なわけでは決してないのですがね、やっぱり私は私、子どもは子ども、だから。
今日は子どもたちの吹奏楽の発表会で演奏を見に行ったのですが、大きくなったその姿をぼんやり眺めつつ、そんなことを改めて思ったのでした。