淡々と笑顔

淡々と生きる私の、日々思うことをつづるブログ

ランドリー通いも悪くない

 

実は洗濯機が壊れまして。

10年選手ですので、よく持ったと思います。

がんばってくれました。

 

それで新しい洗濯機が届くまでランドリーに通っているのですが、ランドリーってやっぱりそれなりのお値段がするんですね。もちろん一度に洗える量も違います。

なので2日に1回洗って持って帰ってきて、大量の洗濯ものを家中に干すということをしています。

 

正直最初は面倒だなあ...と思っていたんですよね。

そう遠くはないとはいえ、重い洗濯物を車で運んで洗ってもらって、さらに重くなった洗濯物を持ち帰る。

外に出るとなると身だしなみもそれなりに整えないといけない。

(頭が爆発した状態でピッとできるおうちとは違うので。私もそれなりに人目を気にするのです。笑)

 

でも通ってみると、ランドリーもなかなかいいもんだなあと思い始めました。

 

洗いだけなので洗濯時間は30分くらい。洗剤付きなので自分で洗剤を投入することはなく、お金をちゃりんと入れるだけ。

待ち時間がそんなに長くなくて、待っている間にあれをしてこれをして...というほどの時間もないので、割り切って、ただ待つ。

その間に本を読んだりネットを見たり。

 

このぼんやり心を緩めて待つ時間が、思いのほか心地よいのです。

出来ることが他にない状況にあるというのがよいのだと思います。

つまりそれは、いかに普段、目の前のこと以外の何かに気を取られているかということ。

 

何かをしていてもしていなくても、頭の隅で「ああ、あれもやらなきゃ...」「こんなにのんびりごはん食べてる私って...」なんて考えたりして。

 

あなたにもそんなこと、ありませんか?

会社勤めをされている方であればなおさら、何かをやると同時に次のこと、またその次のことを考えながらやっていますよね。

(以前の私がそうでした)

 

今日もランドリーに行ってきましたが、家で一人でいるよりも車の中で一人待っている方が心が安らぎました。笑

(私の場合、家のごちゃごちゃしてるあれやこれやが目に飛び込んできて心がザワザワしているのかも、というのもあります。汗)

 

もう一つ、ランドリーに行って気づいたことは、私って毎日洗濯するのも結構なエネルギー使ってたんだな、ということ。

 

今週2日に1回の洗濯にしたことにより、間の1日は朝の洗濯作業がお休みになったのですが、その洗濯作業をしなくていいということによる心の解放感が結構あって。

洗濯が嫌いなわけではないんですけどね。汗

やはりそれなりの工程があることを十数年、365日毎日やり続けるのって、結構なことだったんだなあと改めて思ったわけです。

そしてそれをやっていた自分、頑張ってたんだなあ、と。

 

もう私ってば、何も考えないで心地いいとか作業しないで心が解放とか、どんだけよ!とか思って笑えてきますが。

 

だからね、思ったわけです。

洗濯以外にも、家事、子育て、仕事...それ以外のどんなささいなことでも、生きているんだから当たり前、と思えたとしても、私たちは結構頑張っている。

だからもっと自分たちをねぎらってもいいんじゃないか、と。

 

もっと頑張れ、もっとちゃんとやれ、もいいんですけど、我々十分頑張っていると思うんですよね。

 

何か悩みがあったとしても、何かをやっているからこそ、やろうとしているからこその悩みなわけじゃないですか。

前を向いて生きようとしているからこその悩み。

その姿勢がすばらしい。

 

ねぎらったとしてその悩みが解決することはないとしても、まずは頑張っている自分に「よくやってるね」と声をかけてあげてもいいのかな、そんな風に思います。

(その悩みも、自分の価値観をちょっと変えるだけで悩みではなくなったりするのですが、それはまた別の話)

 

さああなたも今日の夜辺り、「いつもよくやってくれてるね、ありがとう」と自分に声をかけてみませんか?

自分をギュッとしてあげる(セルフハグ)のも、すごくいいらしいですよ。

 

(こっぱずかしい告白をしますと、私は自分の頭をいい子いい子するのが好きです。笑

愛に飢えた子ども時代でしたので...)

 

やってみてくださーい!(いい子いい子してみてもいいですよ。笑)

 

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