淡々と笑顔

淡々と生きる私の、日々思うことをつづるブログ

引き算に難あり?

 

子どもが割り算のひっ算を教えてほしいというので一緒にやっていたら、その割り算の中に出てきた繰り下がりのある引き算で私がつまずくという、笑うに笑えない出来事が。笑

 

マジか...算数得意だったと思ったけど。大昔。

大人になるって、怖いわあ。

(いや、大人でも当たり前に出来るから。笑)

 

結局私も次女もあれ?ってなって、小6の長女に教えてもらうというこの失態。笑

だから笑えないんだってば。

何やってんのよ~なんて言われちゃったよ、てへぺろ

 

 

幸い今日は子どもたちにとっておもしろいと思えるテレビ番組がない日ということもあって、黙々コツコツとがんばっている次女。

 

テレビ音もなく、長女も音を出すことを禁じられているということもあって、静か。

この静寂がとても心地いいものです。

 

テレビって、ずっとついていると音があることに慣れてしまいがちですが、それでも聞き続けていると頭がおかしくなりそうになるんですよね。

そうは言っても、子どもたちに消してくれと言っても聞き入れてくれることはなかなかないので、今、久しぶりのこの静寂を味わっている次第。

 

ということで、割り算に戻ることにしましょう。

たくさん問題があってなかなか終わらないのよ~次女ファイティン!

  

罪悪感事件

 

昨日はお山に行ってきました。

群馬は赤城山

上の方は紅葉が終わっていましたが、下の方は紅葉真っ盛りでお天気も最高だったので、キラキラとてもきれいでした!

 

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子どもたちは夫にお任せしてツアー登山に一人で参加してきたのですが、その日は実は長女が行きたいと思ったイベントが近くの公園(でも子どもたちだけでは行けなさそうな距離)であって。

 

「いや行けませんよ、ママはいないから」とお断りしたり、パパに連れて行ってもらえば?と言ったりしていたのですが、夫には連れて行ってもらえる可能性が低いことを彼女もわかっていたので

 

「行きたかったな~」と何度か私の目の前でつぶやいてたんですよね。

行けないって言ってるのになんなん...と思いながら聞いていたのですが、何度目かのつぶやきで我慢できずにカチーン。

 

行けないっつってんじゃん?前から決まってたことだし。行けないって言ってるのにそれは何、罪悪感を植え付けようとしているのか?それとも予定をキャンセルして連れて行けって言いたいの?

 

となったのです。笑

 

そしてそうなったところでハッと気がついたのです。

違う、長女が罪悪感を植え付けようとしているのではなく、長女は単に行きたかったという思いを口にしただけで、私自身が罪悪感を抱えていたから私が彼女の言葉に刺激されてそう反応してしまっただけだ...!!ということに。

 

いやはや...

 

人が怒るときって、自分が相手から攻撃されていると感じる時だったりします。それは実際には相手は攻撃していなくても、です。

自分が持っている「これはダメなことだ」と思っている観念を刺激されるようなことを言われると反応しちゃうんですよね。

 

冷静に考えてみました。

そして私が持っている観念はこんな感じでした。

  • 自分の楽しみごとにお金を使うのってどうなの?
  • 子どもを夫に任せることってどうなの?
  • 自分だけ楽しむことってどうなの?

そしてそれをやろうとするから罪悪感が。

以前はそうでもなかったと思うのですが...最近積んでいる気がします。

もっとちゃんとしなきゃ、が発動してるのかな...

 

とにかく、そういう自分に気がついたので、長女に「八つ当たりしてごめん...」と心の中で謝りつつ、この罪悪感、どうしようかな~と少し考え、結果、

 

「罪悪感は一切持たない」

 

そう決めました。それだけ。笑

こうだから罪悪感なんて持たなくていいんだよ、とわざわざ理由付けするのも面倒だったし、頭がこんがらがってしまいそうだったので。

 

そして、昔から読んでいる本の中に

「状況がどうとか何を感じているとかそういうことと、自分が幸せでいていいということは別の話」

というような言葉があったので、そちらも再確認。

 

「罪悪感を感じても感じなくても私は登山を楽しんでいい。それとこれとは別の話」

そうしっかりと心に刻み込みました。

そっかそっか。

 

こうして心を軽くした私は登山を楽しみ(岩が多くて筋肉使った~そして今日は久しぶりに筋肉痛です)

 

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子どもたちはというと、なぜだか長女は早朝からシャワーを浴びたり上履きを洗ったり、晩ご飯には家庭科の宿題のじゃがいも料理を夫と作ったり。

私が渋滞で帰るのが遅くなったのですが、戻ってくると部屋は片付いていて既に子どもたち人は夢の中...

 

なんやねーん、私がいない方が、部屋は片付くし早く寝るし、いいことずくめじゃないか...!!

 

これは私が罪悪感を手放したからか、もともと罪悪感など感じる必要はないのに勝手に感じていたのか。(後者ですな)

とにもかくにも万々歳な結果が待ち受けていたのでした。

 

ちなみにイベントはというと「行きたい気持ちが全くなくなったからパパに聞いてもない」ですって。なんと...

 

そうして昨日の罪悪感事件によって、私はこれからは罪悪感は一切持たないことに決めたし、どんな感情がうずまこうとどんな状況であろうと、それとは関係なく幸せでいていいし楽しんでいいし豊かでいていいし自由でいていいし...と決めたのでした。

(決めたことを忘れちゃったりするんだけどね。汗)

 

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ポジティブもネガティブも紙一重

 

俳優の城田優さんが、顔と身長がコンプレックスで「かっこいい」という言葉が嫌いだったということが書かれた記事を読みまして、そっかーなるほどなーとなりました昨日の朝。

 

ハーフだということもあるし、お仕事にとってはどちらもむしろマイナスポイントだそうなのでいたしかたないことなのでしょうが、だってモテたい人からすると「かっこいい(かわいい)が嫌い、だと...?ふざけんな、顔と身長交換しろ」くらいに思うかもしれないですもんね。

生きていく上では絶対的に有利だと思えちゃうし。(←ごめんなさいね、偏見で)

 

一つの事象をどう捉えるかによって、ポジティブにもなるしネガティブにもなる。

ポジティブに捉えればポジティブな世界が広がるだろうし、ネガティブに捉えればネガティブな世界が広がる。

結局その人次第の不確かなものでしかない。

 

そして、逆に容姿が今一つと思っても身長が低くても、ポジティブにも捉えることは出来る。

 

結局どっちの方向に自分は向いていたいか、そこが大事なポイントなのかなあ。

自分がネガティブと思っていることを「受け入れる」って大変なことだとは思うけど。

 

そもそも「かっこいい」だって、人(価値観)によって違うしねえ。

日本では「かっこいい」部類に入っていない容姿でも海外のどこかの国に行くと「かっこいい」部類に入る、とかいうのはよく聞く話。

 

私もねえ、たまに「かっこいい」って言われるんですけどね、誉め言葉なのはわかるけど、一応女子なので、正直ちっとも嬉しくないんですよね。笑

小さくてかわいらしい容姿の女の子に憧れました。まあムリだけど。

 

城田さんとおまえを同列で書くなって話ですね、スミマセン。笑

 

私は自己否定の塊だったので色々思う時がいまだにたまにありますけど、おかげさまで都合よくポジティブ変換できるようになってきました。

この積み重ねが本当のポジティブ(自己確信)になるに違いないと、癖付け中の毎日でございます。

 

自分のことをポジティブ変換できるようになったら他人のこともポジティブ変換できるようになるから、生きるのがすっごく楽になりますよ。

おススメです。

 

 

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ランドリー通いも悪くない

 

実は洗濯機が壊れまして。

10年選手ですので、よく持ったと思います。

がんばってくれました。

 

それで新しい洗濯機が届くまでランドリーに通っているのですが、ランドリーってやっぱりそれなりのお値段がするんですね。もちろん一度に洗える量も違います。

なので2日に1回洗って持って帰ってきて、大量の洗濯ものを家中に干すということをしています。

 

正直最初は面倒だなあ...と思っていたんですよね。

そう遠くはないとはいえ、重い洗濯物を車で運んで洗ってもらって、さらに重くなった洗濯物を持ち帰る。

外に出るとなると身だしなみもそれなりに整えないといけない。

(頭が爆発した状態でピッとできるおうちとは違うので。私もそれなりに人目を気にするのです。笑)

 

でも通ってみると、ランドリーもなかなかいいもんだなあと思い始めました。

 

洗いだけなので洗濯時間は30分くらい。洗剤付きなので自分で洗剤を投入することはなく、お金をちゃりんと入れるだけ。

待ち時間がそんなに長くなくて、待っている間にあれをしてこれをして...というほどの時間もないので、割り切って、ただ待つ。

その間に本を読んだりネットを見たり。

 

このぼんやり心を緩めて待つ時間が、思いのほか心地よいのです。

出来ることが他にない状況にあるというのがよいのだと思います。

つまりそれは、いかに普段、目の前のこと以外の何かに気を取られているかということ。

 

何かをしていてもしていなくても、頭の隅で「ああ、あれもやらなきゃ...」「こんなにのんびりごはん食べてる私って...」なんて考えたりして。

 

あなたにもそんなこと、ありませんか?

会社勤めをされている方であればなおさら、何かをやると同時に次のこと、またその次のことを考えながらやっていますよね。

(以前の私がそうでした)

 

今日もランドリーに行ってきましたが、家で一人でいるよりも車の中で一人待っている方が心が安らぎました。笑

(私の場合、家のごちゃごちゃしてるあれやこれやが目に飛び込んできて心がザワザワしているのかも、というのもあります。汗)

 

もう一つ、ランドリーに行って気づいたことは、私って毎日洗濯するのも結構なエネルギー使ってたんだな、ということ。

 

今週2日に1回の洗濯にしたことにより、間の1日は朝の洗濯作業がお休みになったのですが、その洗濯作業をしなくていいということによる心の解放感が結構あって。

洗濯が嫌いなわけではないんですけどね。汗

やはりそれなりの工程があることを十数年、365日毎日やり続けるのって、結構なことだったんだなあと改めて思ったわけです。

そしてそれをやっていた自分、頑張ってたんだなあ、と。

 

もう私ってば、何も考えないで心地いいとか作業しないで心が解放とか、どんだけよ!とか思って笑えてきますが。

 

だからね、思ったわけです。

洗濯以外にも、家事、子育て、仕事...それ以外のどんなささいなことでも、生きているんだから当たり前、と思えたとしても、私たちは結構頑張っている。

だからもっと自分たちをねぎらってもいいんじゃないか、と。

 

もっと頑張れ、もっとちゃんとやれ、もいいんですけど、我々十分頑張っていると思うんですよね。

 

何か悩みがあったとしても、何かをやっているからこそ、やろうとしているからこその悩みなわけじゃないですか。

前を向いて生きようとしているからこその悩み。

その姿勢がすばらしい。

 

ねぎらったとしてその悩みが解決することはないとしても、まずは頑張っている自分に「よくやってるね」と声をかけてあげてもいいのかな、そんな風に思います。

(その悩みも、自分の価値観をちょっと変えるだけで悩みではなくなったりするのですが、それはまた別の話)

 

さああなたも今日の夜辺り、「いつもよくやってくれてるね、ありがとう」と自分に声をかけてみませんか?

自分をギュッとしてあげる(セルフハグ)のも、すごくいいらしいですよ。

 

(こっぱずかしい告白をしますと、私は自分の頭をいい子いい子するのが好きです。笑

愛に飢えた子ども時代でしたので...)

 

やってみてくださーい!(いい子いい子してみてもいいですよ。笑)

 

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今が子育てプライムタイムかも

 

子どもが大きくなってきてから、子どもと一緒にいるのが楽しくなってきました。

 

実は私は幼児赤ちゃんが苦手で、なるべくなら近づきたくありません。

産んでみたら一応母性はあったみたいでホッとしたのですが、かわいいのですが、一緒に遊ぶとか好きじゃなかったので、一緒に遊ぶというよりは、遊んでいるのを見ているという感じでした。

 

もっと大きくなって一緒に遊んだり勉強したりするのが楽しみ、早く大きくなれ、そう思いながら過ごしていました。

 

そして子どもたちが大きくなった今、二人がケンカすることとか、こちらの言うこと聞かないこととかに本気で辟易することも多々ありますが、一緒に話をしたり冗談を言い合ったり遊んだり運動をしたり勉強を教えたりできるということが、たまらなく嬉しい。

 

これまで知らなかったこと、体験したことがなかったことを子どもを通じて知って体験できたり、こちらが教えるだけでなく、子どもから色々な雑学や知識を教えてもらったり。

 

もっと大きくなると今度は話をしてくれなくなるかもしれないから今だけのことかもしれませんが、あーなんかがんばってよかったーとか、そんな感じ。笑

 

でもこの先更に楽しみにしているのは、子どもの独立。

いや、独立までいかなくても、私があっちにフラフラこっちにフラフラしても勝手にやってくれるくらいにまでなるのが楽しみなのです。笑

いや、子どもたちが嫌なわけでは決してないのですがね、やっぱり私は私、子どもは子ども、だから。

 

今日は子どもたちの吹奏楽の発表会で演奏を見に行ったのですが、大きくなったその姿をぼんやり眺めつつ、そんなことを改めて思ったのでした。

 

心が乱れ切っていた⁉また運気が上がる予感♡

 

ずーっと悶々としていたのです。

部屋が荒れ切っていることに。

荒れているのではなく「荒れ切っている」です。笑

 

振り切ってもなお放置していたのですが、天気が悪くて予定していた子どもたちとの登山を取りやめたので、今しかない!と思って子どもたちと大掃除。

 

子どもたちと一緒なのは、何せ子どものものを整理したかったから。

 

お子さんをお持ちの方であれば首がもげるくらいうなずいていただける方もいらっしゃると思うのですが、子どものものって、どうしてああもあふれていくのでしょうかね...

 

あちこちに中身不明のかごが転がっているのですが(とりあえず物をかごに入れ、そのかごを端に寄せて部屋を綺麗に見せる作戦)うちの人たちはゴミすらろくに捨てない人たちなので、そのかごの中にはいるものいらないもの、そしてティッシュなどのザ・ゴミが混在している有様。

 

なので、本日の我々のミッションは「要不要を分けるとともに、ごみを捨てるw」というものでした。(悲惨...)

 

私が鬼コーチと化しながらみんなで仕分け。

分けても分けても次の部隊がやってくる...笑

という笑えない状況が続きます。

 

それでも一度ひっくり返してしまった以上は、戻る橋は、ない。

 

お菓子のゴミや食べカスが出てくるわ、袋の中からまさかの食器!が出てくるわ。(どういうカラクリ?)呆れるのを通り越して、笑えてきます。

(ちなみに女子です。笑)

 

途中、おひるごはんやおやつで英気を養いやる気を取り戻しつつ、疲れた疲れたとやる気をなくしていく次女をおもしろおかしく励ましつつ、夕方にはなんとか掃除機までかけ終わり、スッキリ広くなりました!

終わってよかった...がんばった!

 

ものがあふれていると言いましたが、そこはやっぱり小学校高学年、幼児期とは違って、いわゆる「おもちゃ」的なものはもうそんなになくて、もう本当にゴミと化しているようなものが多かったので、仕分けに思ったよりも時間がかからなかったのがよかったみたいです。

 

小さい時って「まだこれで遊ぶ!」ってなかなか捨てられなかったりするじゃないですか...遊ばないくせにねえ。

(あ、大人も一緒か!笑)

 

スッキリと広くなった部屋の中で、見つけたカイトで遊びだす二人...「揚がった揚がった~」とか言って...オイ。

(豪邸じゃないですよ、普通のマンション)

 

一日を要しましたが、やっぱり部屋がきれいになると心もスッキリ。

「部屋の乱れは心の乱れ」って思ってるんですけど、あれ、じゃあ「心が乱れ切っている」ということだったのかな...笑(だから笑えないんだってば)

 

それで早々にシャワーも浴びて心身ともにスッキリ!して、今ネットを見ていたのですが、そしたらちょうどこんな言葉が目に飛び込みました。

 

捨てるとき、それは運気が上がるときです。 

気が枯れていくのは、生命力の証。 

古くなった気を、いつまでも握りしめているのは、運気が下がることにつながります。

生命力は、新陳代謝が大事。
古いものは枯れ葉を落とすように、次にくるもののためにスペースを空ける必要があるからです。

捨てることで運気が上がる | タマオキアヤ オフィシャルブログ 現実で使えるスピリチュアルと宇宙の法則!「自分らしく生きたら豊かになるのか?」Powered by Ameba

 

 ちょうど今日投稿されている記事。

 

確かに。

そういえば会社を辞めたときにかつてないほどの断捨離をして、大きなゴミ袋10袋分くらいになった記憶が。(どんだけ物持ってたんだ、って話ですが)

 

ものすごくスッキリしたし、そこから気持ちもどんどん変わっていきました。(本来に近づいていったということでしょうか。気が枯れ過ぎていたので)

 

って書いている今、次女が唐突に

「 きもちいい~!!私の魂がふきだしたよ!部屋がきれいって気持ちいいね~」

とのたまわっている。笑

 

私も子どもたちも、物質だけでなく、どうやら確実に古い何かを捨てたらしいです。

明日から始まる1週間、楽しく心も軽く学校に行けるかな。嬉しいな。

 

ちょうど洗濯機が壊れて新しい洗濯機を注文したところだし、ここからまた心機一転新しい日々を送ることができそうです。

 

本当はため込まないことがベストだから、もっとこまめにやらないと、ですね。

次は洋服の仕分け、かな...まだまだ続きそうな予感...涙

(でも気になっているところを全部やったらスッキリ度Maxですね。がんばるか~)

 

↓子供がまだ赤ちゃんの頃、息抜きにと集中して作り続けたかごたち...

10年近くたった今もまだまだ現役です!

 

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特産品をゲットして考え直した、文章を書くということ

 

夏にお題に沿って記事を一つ書きました。

「私のふるさと」について、です。

ちょうど帰省をした後で、色々と思いを巡らせることがあったのです。 

 

tantankotantan.hatenablog.jp

 

そうしたらなぜか受賞3作品の中に選ばれてしまいました。

えーーーこんなこともあるのか...というのが正直なところ。

 

だって読んでもらえるとわかると思うんですけど、私の文章はお世辞にも上手とは言えない、稚拙なもの。

  

昔から作文というものがとてもとても苦手で、毎年の読書感想文などは苦痛の極みでした。

何かしらに選んでもらったのは、中学生の時に書いた下水道についての作文だけ。(それもクラス代表になっただけで、その先には進みませんでした)

 

そんな私の、この2つの文章にある共通のポイントはずばり「心を込めた」ということ。

技術がない分、そこしかないというだけだったりするのですが。

 

その中学生時代の下水道の時は「下水が整っていなかったことや工場があったことなどの事情でものすごく汚かった水が下水が整うにつれてきれいになって...」という自分の町の水事情を両親から聞き取り調査。

作文を書く時にそんな聞き取りをするなんてことは後にも先にもその時限りです。

そして「そうか、水がきれいになってよかったなあ、これからもきれいな水を保ちたいなあ」そんなことを思いながら作文を書きあげたことを今でも記憶しています。

 

今回の記事については、「私と四国についての今昔」についてリアルに心の中に情景を思い浮かべました。

楽しかったこと怖かったことなど色々な感情がよみがえり、記事にして書き上げた後もその余韻に浸るほど。笑

 

読んでくださる方は、その書き手の感情を感じ取ってしまうということなんですね。

ありがたいことです。

 

ありがたいことであると同時に、少し考えるきっかけにもなりました。

なぜ文章を書いているのだろう?ということについて、です。

 

私のブログは日記ですので、基本的に深く考えながらは書いていません。

でもこうして読んでいただけるのと同様、私も人のブログをたくさん読んでいます。

そして読んで色々なことを考えます。

 

私が人のブログを読んで色々なことを考えるように、私のブログを読んで何かしらを考える人がいるかもしれないんだなあ、と改めて思いなおしたのです。

 

例えば四国っておもしろそうだな、と思ってもらえるかもしれないし、私が思ったことについて、そうじゃないと思うんだよな、とか、確かにそうだよな、と考えるきっかけになるかもしれない。

たかが日記、じゃないんだな、と。

 

そんな堅苦しいことを言い出すとつまらない文章になりそうなので深く考えないつもりではいますが、どうせ書くなら、無意識にただただ垂れ流すのではなく、何かしらをパスできたらすごくステキじゃないですか。

 

だから「書く技術」も含め、もう少し意識してみようかな、私のためにも、読んでくださる方のためにも。そう思ったのでした。

 

ところでゲットした特産品はというと、なんと「松阪牛」でした!(ウホ!)

松阪牛を食べたことがなくて、食べてみたいなあなんて思っていたのでびっくり。

引き寄せちゃいましたね~えへへ~。

しかも思ったよりもたくさん入っていて2度びっくり(いや、当たったことも含めると3度びっくりです)

 

上等なお肉をありがとうございました。柔らかかったです♡

 

これからも楽しいはてなブログライフを過ごしますね!

 

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