キラキラとした思い出
今ビワの木のことについてのブログ記事を読ませてもらったのですが
そうやってビワを見るたびに、思い出されるのは母方の祖父母の家でのこと。
祖父母の家にも大きな大きなビワの木がありました。
子どものころは、収穫の時期になると母の指示のもと、我々兄弟総出で収穫。
大きな木でしたので、古いトタン屋根の倉庫の上に登り、
トタン屋根を突き破らないように柱の上を歩きながら手の届く限り収穫。
そうして長い時間収穫を続け、
スーパーの買い物袋何個分ものビワが集まるのです。
ご近所におすそ分けをしてもなお山のようなビワ。
もうお腹いっぱい食べられませんとなってもまだあるビワ。
その頃はビワがなかなかの値段でスーパーに売られているなどとは知らず
当たり前のように食していたものでした。
子どものころ私はまるで猿のように外遊びばかりしておりましたので
屋根の上の収穫はお手の物であり、ちょっと面倒ではあるけれどもとても楽しい恒例行事となっていました。
それがいつしか収穫をすることをやめてしまい
それは実がならなくなったからなのか、はたまた
祖母が病に倒れてしまったからなのか
記憶には残っていないのですが
ある日母親が言っていた
「庭に実のなる木を植えるとよくない」という言葉。
でも私にとっては
ビワの収穫や、イチジクの実がうまく育ってそれがすごくおいしかったこと、見たことのなかった赤くきれいなザクロという果物を食べさせてもらったこと
どれも、キラキラとした夢のような体験でしたので
なぜそんなことを言うのだろうと寂しくなったものでした。
彼女がそう思いたくなったその気持ちは、大きくなってからわかりましたが。
ビワの木があろうとなかろうと、イチジクの木があろうとなかろうと、
起こるものは起こる、それだけなのですがね。
木たちにも祖父母にも、もちろん、収穫の指揮をとっていた母にも
そんな素敵な思い出を残してくれてありがとう
ビワの話を目にするたびに、ビワを見かけるたびに
子どものころのそんな体験を思い出しながら想いにふけってしまう
そんなお話でございました。
センチメンタルたん子。