淡々と笑顔

淡々と生きる私の、日々思うことをつづるブログ

言わないことにしたその後(2)

 

アレですよ

前置きが長々しいと

何書きたかったんだっけ?

って忘れちゃいますよね、って話。

 

tantankotantan.hatenablog.jp

 

「知らんもんは知らん」

 

ってなったら心がふわりと軽くなった

だがしかし

子どもたちの食器やら脱いだものやらの

山ができている

 

そういうことでしたそうでした。

 

 

話は変わりますが

私の嫌いな家事が2つありまして

 

それが

「お風呂洗い」と

「食器洗い」

ミズモノ。

 

なので

お風呂はほとんど洗わず

基本シャワー。

 

食器は1日1回洗うか

食洗器行きか。

 

そんな感じなのです。

 

 

もう知らんわーとなった日

洗面所にいましたらふと

 

「お風呂のふた...ほとんど使ってないのに

何でお風呂場にあるんだろう?」

 

と疑問が湧いたんですね。

 

あああ!

使ってないのに洗うのしんどいのに洗って

使わないまままた汚れて

...なくせばいいじゃないか!!!

 

え?当たり前?

私にとっては膝を叩くような

してやったりのひらめきだったのですがね。

 

早速洗って風呂場から撤去。

 

ついでに使っていない

汚れ切った風呂椅子も撤去。

風呂場が広くて心がスッキリする。

 

あれ、お風呂掃除...できる!!

しかも楽に!!

 

そうなのです。

 

私は

ずっと違和感を抱えながらも

そこにあるべきものと思って置いてあった

風呂ふたと風呂椅子を撤去しただけで

 

掃除ができるようになってしまったのです。

なんということ。

 

一方でツートップのうちのもう一つの頭である

食器洗い。

実はこちらにも変化が現れました。

 

自分でも信じられないのですが

なぜだか

洗えるのです。

 

もう一度申しましょう。

洗えるのです。

こまめに。この私が。

 

何なの、ワタシ。

 

 

なぜできるようになったのか。

私はこう思うのです。

 

子ども(や他の人)に対して

ああしろこうしろだのゴミを捨てろ食器をさげろだの

そう言うことで

 

これまで無駄にエネルギーを費やしてしまっていて

自分のエネルギーが枯渇してしまっていて

食器を洗うだのアレをするだの

そういったところに回すことができていなかった

 

そうなのではないか、と。

 

お風呂掃除しかり

無意識ながらもふたやら椅子やらを

苦々しいと思っていた、

そこに使っていたエネルギーが

風呂掃除にまわったのではないかと。

 

 

考察のまとめとしては

改善の余地がまだまだあるのは

置いておくことにして

 

お風呂掃除と食器洗いという

2台巨頭の牙城が崩れたことは明白。

 

今日もお風呂は私の手によって掃除されました。

 

 

「自分のことを大切にしてなかった」

問題は現在進行形で対処中ですが 

tantankotantan.hatenablog.jp

 

とにもかくにも

ようやく1歩を踏み出した

 

そんな気がしています。 

 

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