淡々と笑顔

淡々と生きる私の、日々思うことをつづるブログ

私が私にしてほしかったこと

 

ずっと辟易していた。

 

言っても言っても捨てられないゴミ。

放置された食器。

片付けてほんの1,2時間で元通りに戻る部屋。

 

私は1年365日、一体何年間言い続けていたのだろうか。


辟易して

理解できなくて

そして悲しかった。

 

だから、やめた。


つい先日

とある人のブログに

「相手にこうしてほしいと思ったことは

自分の魂が自分にしてほしいと思っていること」

と書いてあった。


私はゴミを捨ててほしかった。

食器を片付けてほしかった。

 

ママ大好きと言うのであれば

その私が

ゴミが散らばっているのを見るのは嫌だ

食器を洗う人のことを考えてほしい

そう言うのだから


例え子どもであったとしても

 

ゴミを捨てるくらい

食器の一つくらい

 

何も

東大の問題を解けなどという

無理難題を押し付けているわけではない。

 

しかも自分が排出したゴミだ食器だ。


それなのにそれすらやってもらえないとは

何年にもわたって言葉を拾ってもらえないとは

...私は一体何者なのだ?


私は話を聞いてほしかった。

もっと大切にしてほしかった。


「相手は子どもじゃないか」

そう、この状況は相手は子どもではあったが

相手が誰でどんな状況であれ

きっと同じ心境にたどり着くのだ。

 

 

「相手にこうしてほしいと思ったことは

自分の魂が自分にしてほしいと思っていること」


私の魂は

「もっと私を大切にしてほしい」

「もっと私を価値ある人間だと感じてほしい」

 

そんなことを私自身に訴えていたのだ。

 

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