淡々と笑顔

淡々と生きる私の、日々思うことをつづるブログ

一杯のぜんざいで満足するには

 

今日人と会いまして美味しいランチをいただいてきましたたん子です。

主婦が昼間からいいもん食べていいわな…

その通りでございます。

主婦バンザイ。

 

その中に蒸したアボカドのあんかけみたいなのがありまして

たん子さん温かいアボカドは初体験でございましたが、

不・思・議・食・感でございました。

温かなねっとり。

いけますな。

 

 

それでそのランチでのおしゃべりの中で、あれもこれも色々

やりたくなるんですよねという話が出てきたので考えていたのですが、

やりたくてやるはいいけど、やった後めっちゃ楽しかったー!

みたいな風じゃなかったのです、その話していた方が。

 

やりたいならどんどんやればと思うものの、何となく違和感。

アレなのでは、もしかして満足の不足で、

不足感からもっとやりたい、となっているのではないか?と思ったのです。

 

 

昔「美味しんぼ」にこんな話がありまして、

和菓子屋の若旦那だったかが甘味処をオープンするにあたり

とても美味しいぜんざいかしるこかを作ったのですが、

父親である主はこんなのではダメだという。

若旦那はこんなに美味しいのに、と反発。

士郎(でしたっけ?)が味見をすることになったが、

主の意見に同意、という話です。

 

それはつまりこういうことで、

和菓子屋の塩梅でぜんざいを作ってしまっていたため、

甘みが薄かったんです。

とても美味しいものではあったのですが、

甘味処に来る人は強い甘みを求めている。

だから、もっと甘さが感じられないと

一杯のぜんざいでは満足しないんだ。

 

薄い記憶を辿るとそんな話でした。

 

そんな感じで、嬉しい楽しいが薄味で満たされていない…

だからもっと!ってなるのではないかなあ?

そんな風に思ったのです。

 

やってみたい!と旗を立てて、それは本当にやってみたいということではあるのでしょうが、もしかしたらもっと別のところにその方が本当に満足する何かがあるのでは?

もしくは、嬉しい楽しいの感情を感じる力が薄まっているか?

 

たん子さんはその道のプロでもなんでもないので

なんの結論も導き出せはしないのですが

 

やりたい、やった、まあよかったよね、はい次

 

みたいなのが続くようであればちょっと立ち止まって

自分を見つめてみるのもいいのかな?

そんな風に思ったのでした。

その場ではそんなところまで考えをまとめ上げることもかなわず

話は流れていきましたが。

 

とはいいつつも、なにがどうであったとしても

やりたいのであればやればいいよね

そこで体験したこと、それで発生した感情

すべてが学びであり成長の糧となるわけだから

そう思っておりますたん子です。

 

それにしても今日は朝からよく足を動かしたものだ。

動けるときは動くと決めたらずんずんと歩けまして。

明日のウォーキングレッスン大丈夫かな...

 

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