淡々と笑顔

淡々と生きる私の、日々思うことをつづるブログ

母親に対する感情に変化があった話

 

私は母に対して素敵な感情を持ったことはありませんでした。

 

小さなころからあまり私に対して関心を持っているように思えなかったし

 

父親がこんなだったから 

tantankotantan.hatenablog.jp

 

早く離れたかったけど

離れるどこか、なんだかんだ言いながら彼女は

父親の味方のままで

 

死後しばらくして

「もう許してやって」とかいって

そんな簡単な問題ではないのに

「死」はそんなに大きな免罪符なのか

子どもの心の中ではまだその問題は死んではいないのに

 

私が大学に滑り込んだときも

自分の面子が保てて安堵したことを

本人に向かって真顔で報告してくるし

 

書き出したらもっと書けるけどそれは置いておいて

とにかく数少ない、嫌悪感を感じる人物の中の一人でした。

 

そうはいっても

育ててくれた事実はあるわけだし

 

私と彼女との間に見えないガラス戸をひいて

想いを封印して心穏やかに接することにしていたわけです。

 

でも最近

そんな彼女に対する自分の気持ちに向き合ってみようか、という出来事があり、

もう一度見つめてみたんです。

 

共依存体質の彼女、他人や世間を羨む彼女、人の幸せを願えない彼女。

そんな彼女に対する自分の気持ち。

そこから得られること。

 

人はなぜ人として生まれているかというと

人間という生き物しか体験することのできない感情を体験するためなどともいわれています。

それは嬉しい感情、嫌な感情関係なく、すべての感情です。

そして、魂が求めているのは成長とバランス。

 

それを考えたときに

ああ、彼女は、子どものころからの一連の体験や感情を経験させるために

その役割を果たしてくれたんだな

この体験によって自分は何が嫌で何を望むのか知ることができた

そのためにいてくれたんだな

 

ということに思い至って

不思議と感謝の気持ちが湧きあがってきたのです。

 

起こっている事実は一つなのに

本人がそれをどう捉えるかによって

世界がガラリと変わる。

 

わかってはいるけどなかなかそううまく気持ちを持っていくことは難しい。

でも、すべては成長のため学びのために起こってくれていると捉えると

見方も少し変わってくるかもしれません。

 

そうして私の彼女に対する感情に変化が起こったのですが

実はそれからまだ対面していないし話もしていません。

 

会ったときにどんな感情を抱くのか。

未知の領域です。

まあまた不快な感情を抱くかもしれませんが

それもまた仕方のないこと。

 

そのときにはまた見方を変えることを意識しながら

自分の学びとしたいと思います。

 

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