アルコール依存症だった父親のこと
アルコールを摂取して大変なことになった人がいますよね。
そんな報道を見るとどうしても思い出されるのは父親のこと。
知らない人からしたらちょっと暗い話になるかもですけど、聞いてください☆
私の父親は、私が思春期に入る前にはもう既に無職のアル中でした。
そして、晩年は文字通り廃人と化して、魂ここにあらず。
私が実家に帰省しても、私の存在に気づいているのかいないのか
わからないまま
最期は私が20代後半の頃。
朝起きたら亡くなっていたそうな。
その一報を聞いたとき私は
「やっと終わった...」そう思ったのでした。
父親のことが本当に昇華できたのは、それからまだずっと先の話。
子どものころの私は、子どもなりに
どストレートにやめてほしいとずっと言い続けたりしたけど
聞き入れてはくれなくて。
まあ、今ならわかるんだけど。
やめられない
んですよね。
自分の意志では。依存は病気だから。
「断酒会」なるものがあって、そういうものにも参加した(させられた)けど
本人が止める気がなければ、もうどうしようもない。
彼は精神的に弱いくせに人一倍プライドが高い人間でした。
仕事中の事故で身体障害者になって
そういうのもプライドをより高くさせた要因になったのかもしれないけれど
その精神的な弱さとプライドを選んで
現実を生きることから逃げて、戻ってくることはなかった。
私がもっと大きくて考え方もしっかりしていて
彼の弱さを理解し話し合えていたら
どうだったかなあ...と思ったりもするけれども
それが彼の選んだ人生。
毎日家の中の誰かが泣くわわめくわの大騒ぎで
なかなかの青年期を過ごしたけれども
そういう経験を私にさせてくれるためにその役割を演じてくれたと思うと
今はただ感謝があるのみ。
心の弱さ、苦しさ、葛藤、無関心、ここにいることのありがたさ...そんな色々なことを知ることができたから。
まあ、それも死後10年以上経ってようやく思えたことだけど。
本当、やっと、です。
今は
一度でも、一緒に楽しくお酒を飲んでみたかったなあ
というか、まともな話をしてみたかったなあ(苦笑)
なんて思ったり。
本当はどうしたいのか?
お酒を飲み続けたいのか
愛してくれる人を選びたいのか
おそらく父は、そのことを考えることはなかった...あったとしても選択の余地はなかったのでしょうが
今苦しんでいる人がいたとして、まだ間に合う人なのであれば、
アルコールのことが頭をよぎった時に
どっちを選びたいんだ?
ということを真剣に考えてくれることを切に願わざるを得ません。